sievyys

音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を観たり・・・
そんなほのぼのを綴っております。
休日に集中して更新。

たからもの、がまたひとつ

Love Letters
Love Letters
小林桂

私は難しいことが好きではなくて田辺文学のいわんとする「ひらがな文化」に賛同するものです。難しいものを難しく表現しているものがこの世にはあまりにも多くて、そういうものも大事だろうけどなんだか堅苦しくって。
小林桂さんを大分以前、テレビで観ました。
王子さまのルックスに甘い声のジャズシンガー。
おおーと思ったけど、改めてしっかり聴こうとは思わず。
図書館にCDがあったので借りてみたのも私の好きなスタンダードナンバーが収録されていたから。
聴いてみたら、何か嬉しくなっちゃうような素敵なアルバムでした。
特に「バードランドの子守唄」は聴いてから暫く頭の中で回っていたほど。
優しくって、押しつけがましくないのに、確かな力がある歌い方、声。
こんなに好きになったのってアン・サリー以来。すっかりファンに。
短期間にアルバムを集めて、嬉々として聴いています。
どちらかといえばバラードに本領発揮する声なのですが、「LOVE」などアップテンポな曲も楽しい。
ミュージカルも好きらしく、ミュージカルナンバーも歌っているのも嬉しいところ。
少しずつ秋へと向かう昼下がり、美味しい飲み物を傍らにぜひどうぞ。
ご機嫌になれるの確実ですときめき

  • 2008.08.16 Saturday
  • 00:46

なつかし、って今もある

レトロなつかしダイアリー
レトロなつかしダイアリー
佐々木 ルリ子

「三丁目の夕日」など映画も公開されたこともあり、レトロブームの昨今、レトロなグッズを紹介した本が書店に並んでいるのは珍しいことではないかもしれませんが、この本は一味違いますよー。
まず、装丁からして違う。
乙女の乙女による乙女のためのレトロ本ってことが一目で分かります。
内容も無論、乙女。
バンビグッズは今見てもすごくカワイイし、アクアフレッシュなんてわざわざハート型に搾り出して紹介してるんですよ、もったいねーびっくり でもカワイイラブ
「サザエさん」って確かにアニメでは笑えないのに4コマでは結構笑ったなーなんて思い返してみたりして。また表紙が改めてみるとすごく可愛くて素敵なんですよ。また読みたくなってきました。
著者が海外から買い付けたものも紹介されているので全部が全部、懐かしい知っているものって訳じゃないのですが、どれにもなんともいえぬ「昭和感」が漂っています。機能的じゃないのにシンプルで、どことなーくキッチュなんですよね。
カワイイものはあくまで可愛く、みたいな真面目感が好印象です。
驚いたのは我が家に2個あって大活躍している金属でできた物干しが紹介されていたこと。確かに言われてみれば昭和、ですねー。水玉模様でカワイイと思って気に入っていたのですが。
千鳥酢も我が家にあるし、ノスタルジックな前掛けエプロンも持っているし、ベルベットのリボン大好きだし、大島椿とロゼット洗顔パスタは愛用しているし・・・私はどうやらしっかり昭和人間のようです。
なつかしっていうか、我が家にあるもの紹介っぽくもありましたが、なつかしいものって今もあるんだー、それも意識せぬうちに・・・みたいな驚きが楽しかったです。
あなたの家にも実は「レトロなつかし」ものが隠されていたりして・・・。
他にも「レトロな旅・江ノ島」など昭和めぐりの紹介も楽しい

  • 2008.08.16 Saturday
  • 00:42

乙女の古典案内


文車日記―私の古典散歩 (新潮文庫)

文車日記―私の古典散歩 (新潮文庫)
田辺 聖子


あー楽しかった9日間の夏休みもついに明日で終わりです・・・悲しい
またお仕事の日々に戻るんですね・・・しょんぼり
でも、暑さがだんだん和らいで秋になってくれるんだーと思うとちょっと嬉しくもあります。地球温暖化なんでなかなかかもしれませんが・・・。
以前、田辺聖子さんの本を読んでいたら、田辺さんのお母さんが「文車日記はおつかいものにも使えてちょうどいい」と言って「私の本は石鹸かい」と田辺さんを憤慨させるという箇所があり、「ふーん、そんな品のいい本なんだあー」と思ったことがありました。
で、この頃、田辺本づいている私は「姥盛旅の花笠」読了を待って読んでみることにしました。で、感想なのですが。
なんて言ったらいいのか、捨てるには惜しいかわいらしいカンカン(缶のこと)に入っている、色とりどりのドロップみたい。腹の足しにはならぬが眺めているだけでほーっと心が満たされる・・・みたいな。そう、更に指定すれば甲斐みのり著「乙女の大阪」でも紹介されていた長崎堂の虹のかけら&クリスタルボンボン・・・もしくは京都・末富の桃色の和紙の箱に入った極シンプルで上等の味のする飴みたいな・・・。
この本に紹介されている古典作品は万葉の時代から近代まで数多く、ひとつひとつの紹介は僅か3ページ程度。それなのにどれもきらきら輝いて、ああ、この本、もっと詳しく読んでみたいなあーと思わせる。
私が心引かれたのは落語「たらちね」(あーらわが君)と「大鏡」藤原隆家(誇りたかき男)、中宮・定子の紹介(薄幸の皇后)。そして、この本の中では割と長編の「わが愛の磐之媛」。
むかしむかしから人は愛し合ったり喧嘩したり許しあったりしてきたのだなあ・・・と古典に登場する人々がいとおしくなってきます。
しかも、文章がどことなく吉屋信子を思わせる優しい床しい雰囲気で、いつものエッセイで読む関西弁な田辺さんの調子とはかなり違います。
例えば「夕顔」で著者の若い頃のエピソードが紹介されているのですが洗面所で上級生のお姉さまたちが「源氏物語」の「夕顔」の一説を諳んじる箇所など雅やかで「花物語」を彷彿とさせます。
著者は本の中で語ります。


 ――もしかしたら日本の女が美しかったのは日本語が美しかったせいではないでしょうか。日本の若いお嬢さんに美しい言葉をたくさん知ってほしい気がします。


 美しい日本語に触れることができる乙女ちっくなこの本、できれば愛らしいブックカバーなどをかけて、慌しくない気持ちでページをめくっていただきたいです。
 乙女な気分に浸れること請け合いですよグッド
 できれば可愛いキャンディーなどそっと口に含みながら・・・。

  • 2008.08.16 Saturday
  • 00:27

大切な人を思い出す本

残花亭日暦 (角川文庫)
残花亭日暦 (角川文庫)
田辺 聖子

忘れていたはずなのにふっとしたはずみで蘇る風景がある。
周りは山に取り囲まれていて、綺麗な川が流れている。
橋がかかっていて、その向こうに病院がある。
あそこに、あの人がいる。
私は夕闇の中、ぼーっとバスを待っている。
ここのバスはいつも遅れる。時間通りに来ることなんてめったにない。
私はバスに乗り、とぼとぼ橋を渡って病院へ行く。
そして、また重い足で橋を渡ってバスに乗る。
道を照らすライトはオレンジ色で眩いくらいに明るい。
遮るものはなく、夜になればきっと星が綺麗。
今でも、あちこちにちらほら見える。
ああ、先が見えない。なんて憂鬱なの。
そして、はたと気づくと私は小さな檻の前に佇んでいるのだ。
ちいちゃなちいちゃな(それでも年頃からすれば嘘みたいにでかいのだが)黒い子が檻の中から私を見ている。
「僕をここから出して。連れて帰って」
ぼろぼろと泣くしかない私に獣医が痩せた体を抱かせてくれる。
私はこの子が可哀想な訳ではなく、ただ運命を呪っていただけだった。
自分に懐いてくれる可愛い子を失うのが身を切られるように辛かった。
イヤだ、イヤだ、死んじゃイヤだ!
私は自分が可哀想で泣いている。
ただ今こうしている瞬間にも確実に命を蝕まれていることをこの子は知っているのだろうか、何故、私が泣いているのかなんて分からないはずなのに。
「泣いちゃだめ、元気だして」
と言わんばかりに、必死で私の涙を舐めるのだ。
可哀想なのにはこの子なのに。この子が私を可哀想に想ってくれている。
今回、この本を読んで、忘れかけていたことを思い出した。
できるだけ私は楽しいことを思い出そうと努めてきた。
子供の頃以来、手を繫いだことなどなかったのに、失った年月を取り戻すように手も握ったし、髭を剃ったり、顔を拭いてあげたりしたこと。
私がいつまでも眠っていると、ゴハンを催促するでもなく、ずーっと一緒に枕に頭をのせて爆睡していたこと。抱っこが大好きだったこと。
田辺聖子は自分の経験をセンチメンタリズムを廃しながらも、驚くほど情緒的な風景描写を交えて大切な夫との最後の交歓の日々を描いてみせる。
本来なら辛くてごまかしてしまいそうなのに作家の観察眼の鋭さはそんなずるさを許さない。なんて因果な商売、とも思うし、流石と溜息も出る。
我侭で勝手な夫に振り回されているように見えつつ、著者自身もしっかりとマイペース。だからこそできる綺麗ごとではない介護生活であろう。
できるだけのことはやったからこそ、夫亡き後も著者は前向きだ。
その押し付けがましくない、前向きさに元気づけられる。
繰り返し繰り返し、読んでしまう箇所がある。
それはこの本の中でもハイライトと呼べる部分で圧倒的な迫力で読者の心をざわめかせる。


 ――テレビの音は絞ってあって、病院内は静かだった。広い窓の外は半分、夕焼け。そんなつもりはなかったのに、傍の小椅子に坐り、おだやかな表情の彼を見るうち、子供のように顔が歪んで、涙が出てしまった。彼は私に目を当て、ゆっくりと一語ずつくぎりながらつぶやく。

 <かわいそに。ワシは あんたの。味方やで>

(中略)

 <アンタかわいそうや、いうとんねん>
 <?>
 <ワシはあんたの味方や。それ、いいとうて>
 <味方って?>

 彼は疲れたように目を瞑り、口もとざす。静かだ。窓の外の夕焼けは青褪めて、鳥たちが町の低い屋根の上を、声もなく渡っていく。


 「かわいそう」という言葉は単に上から目線で相手を哀れむということではないのではないか、と私は常々思ってきた。だってすごく可愛がって愛したものを失った時の感情は「かわいそう」以外に思いつかなかったから。また自分の年齢など斟酌せず、こてん、すうすうと眠っているめいちょを見ている時、あまりのいじらしさに「かわいそう・・・」と幾度も思ったものだから。著者も「かわいそう」は最大の愛情表現なのではないか、と語る。
 ラスト、頭痛に襲われた著者は亡き夫の言葉を思い出す。


 <ワシは アンタの 味方やで>
 (中略)
 ――味方に、ついていてくれるっていうの?
 ふと気づくと、頭痛はおさまっていた。その代わり、涙が出てきた。ありがとう、味方をしてくれるの。


 私は大切な人を思う時、思い出したようにこの本を手に取るだろう。
 そして同じ箇所を思わず口に出して読んでしまうのだ。
 著者が夫から贈られた言葉がまるで自分が失ったものたちが自分に与えてくれた言葉のように感じられる。だって、あの人もあの子も話すことが出来なかったから。私は自分に与えられた温もりをどうにかして「ことば」で解釈したいと心の中でもがいていたのだ。
 死んでしまった黒い子は骨を納めていなかったせいだろう、泣いてばかりいる私のもとに間もなく金縛りと共にやってきて、布団で眠る私の上にいつものようにずっしりと乗っかった。死んでしまった時の痩せた体とは違い、最も元気だった頃のまるまるした体つきで、いかにも人懐こい調子で私に黒い顔をぬうっと近づけ、私の顔をぞりぞり舐めていた。私は歓びよりも「こいつは亡霊だ!成仏してくれ!」と勝手なことに恐怖で凍りついていた。
 黒い子は私の脇で蹲り、そのうち消えてしまった。
 それきり、二度と姿を見せない。
 きっと私をちゃんと思い切らせたことに満足したのだろう。
 事実、私は「死んだらもう返って来ない」という当たり前のことを漸く得心し、陰気な顔をやめたのだった。
 結局、人が大切な人に伝えたいことって、単純なことなのだ。
 とこの本を読んで改めて気づいた。
 ちゃんと総括できる言葉はあるんだってことに。
 それにしても質の良い日本映画でも見ているかのような美しい本だった。
 お盆のこの時期、大切な人を思い出しつつ、読んでみては如何だろうか。

  • 2008.08.11 Monday
  • 15:42

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