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音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を観たり・・・
そんなほのぼのを綴っております。
休日に集中して更新。

原作もどうぞ

新装版 天璋院篤姫(上) (講談社文庫)
新装版 天璋院篤姫(上) (講談社文庫)
宮尾 登美子

大河ドラマの原作である『天璋院篤姫』を私は中学生の時に一度読んでいるんですがその時は家定がどうも好きになれなかったのです。ドラマの家定は虚けを装う飄々とした人物ですが原作の家定はひたすら気弱で泣いてばかりなんですよ。でも、篤姫のところにはちゃんと十日に一度とか通ってくるんです。そして「御台には誠にあいすまぬ」とか言いながらしくしく泣くんですね。で、そんな家定を篤姫は嫌いになるどころか『家定さまってカワイイ』とか『おいたわしい・・・』なんて想っているんです。それがどうも納得いかなかくてイライラしてました。こんなヘナヘナ男のどこがいいワケ?って。
今回読み返してみるとドラマには会話の中くらいしか登場しませんが篤姫には病弱の兄がいてお父さんもまた病弱。家族の中で健康なのってお幸の方と篤姫だけなんです。篤姫は病弱な男たちを見慣れていたんだなってことで篤姫が家定を嫌悪しなかったのがよく分かりました。篤姫にとって『男』というものは頼るべきものではなくて『支える』べきものだった、ということが繰り返し語られているんです。篤姫が家定に愛情を感じても違和感がないように書かれている。大人になって読み返すと家定は毒殺に脅えていてノイローゼになってもおかしくない状況だということが分かるし、篤姫が家定への愛情と薩摩の養父との間の板ばさみで苦しむ箇所は思わず読み込んでしまいました。それに原作では一緒にお花見したりとか、カステラを焼いてもらったりとか、結構仲良く打ち解けているんです。苦しむ家定を介抱したりもしていて、寧ろ、ドラマよりも二人のラブ度は高いので、そういった意味でも読んでいて楽しかったりします。なので原作もぜひどうぞ。
大河は原作とは家定の人物描写が全く違うし、篤姫もよりお転婆な感じになっています。でも、篤姫が家定への情愛と薩摩の斉彬の密命との狭間で苦しむという展開は同じで、ドラマには原作には表立ってない本寿院との確執なども入れてきてより強調されています。(原作では和宮との確執がメイン)
今回は篤姫は本寿院の画策により家定と引き離されます。最初に過労で倒れて気がついた時の家定は「御台に私は無事だと伝えよ」と言う。この時点でもう虚けじゃないじゃん・・・って感じ。それは周りも気づいていて「上様はこの頃お変わりになった」と語る滝山。今回、可哀想なのは篤姫ではなくおしがだと思う。せっかく家定の傍にいることが許されても家定が求めているのは篤姫で自分は身代わり・・・と理解している訳ですから更には「私は御台に逢いたいのだ!」なんて言われたら・・・可哀想過ぎる悲しいただそれでも彼女は何年も家定の傍にいれたんだからましか・・・。篤姫なんか一年ちょっとだし。
家定の命は年表的には後僅かなので二人があとどのくらい絆を深めることができるかが問題です。堺さんは「篤姫が『私は徳川の女』と腹をくくるきっかけには家定への愛情があったと思う」とインタビューで語っていましたが、今回も謂わばその布石。引き離されなければ篤姫は家定への身も細るほどの想いを思い知らされなかっただろうし家定は死ぬまで篤姫に「御台がいなければこの世から色が消えたようじゃ・・・我らは気が合うのう」という台詞を言わなかった。ここでお互いに愛があることを確信させなければ次回からの二人の政治的な立場での食い違いが生きてこない。愛があるからこそ篤姫は次回苦しむ訳ですから。
でも、慶喜って原作では「今の時代、誰がなっても将軍なんてうまくいくわけないしー。だるいっていうかー」みたいな無責任な態度で篤姫が泣くほど苦しむほどの男じゃないんだよなー。なんか篤姫の涙がもったいないっていうか・・・。
とにかく家定と篤姫のほのぼのラブが楽しみで見ているこちらとしては、次回も仲直りで落着させてほしいってことだけが希望です。間違っても仲たがいしたまま家定が倒れる、とかやめてほしい・・・。

  • 2008.06.23 Monday
  • 22:24

歴史って・・・

NHK大河ドラマ 篤姫 完全版 第壱集 [DVD]
NHK大河ドラマ 篤姫 完全版 第壱集 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント

アメリカ公使ハリスの日記によると、ハリスと引見した際、言葉を発する前に頭を後方に反らし、足を踏み鳴らすという行動をとったとある。これは脳性麻痺の典型的な症状と言われる。しかし、家定はハリスに対して「遠い国からきてごくろうであった。満足に思う。我が国と米国の関係は永遠に続くであろう」と告げ、将軍らしい態度も見せた。
                     ――ウィキペデイアより引用

そうかー。そうくるかー。演出と堺雅人の演技の勝利だなーとわくわくするほど楽しかった、第二十四回。フジテレビの『大奥』では北村一樹が演じていましたが、それぞれのハリスとの会見シーンの演出の違いを楽しみにしていました。ニヒルが売りの北村家定はハリスを前に狂言役者のような大胆な足踏みを見せ、ハリスをビックリさせます。その後「先日の大砲の礼だ」と言い捨てます。文句なしに格好いいです。
対する堺家定・・・あの無邪気っぷり。実は計算?とも思いますが、ついついふざけてしまったことを篤姫に打ち明ける時の姿が可愛くておかしかった。
フランス映画なんか見てしまった時、あまりにもわけのわからないフランス語で愛を語る恋人たちの姿にシリアスであればあるほど笑いがこみあげるってことがあります。もしくは宝塚歌劇『ベルサイユのバラ〜オスカルとアンドレ篇』を何の予備知識もなく見てしまい、あまりの突っ込みどころの多さについ笑ってしまい、ふっと周りを見るとみんな泣いていたーみたいな(これって気まずいよなー。だが友人の実話である。弾丸を何発も受けたオルカルがまだアンドレと愛を語る姿に「いやいやありえねーって」と笑ったら、当然周りの観客はみんな泣いてたそうです)
自分の眼下でバカみたいに背が高いヒゲを生やした異人がわけのわからんことを真面目腐った顔で語る姿に「ちょーウケるんですけどー」みたいな気分になって気分がうずうずしてふざけたくてたまらない感じ。堺家定は観察眼に鋭い、客観的に自己と周囲を見るタイプのようなので・・・その観察癖の悲劇(喜劇?)というように感じました。
でも、確かに歌舞伎ってそうだよなー。ウィキで説明されている家定の行動はそのまま歌舞伎の見得を切る姿に移し変えることができるんですよ、そこに気づいた演出家の人はすごいと思う。飄々とした堺家定のイメージを損なっていないし、ほんと面白かった。
家定に見込まれて「これぞ夫婦愛!」とときめいたり、積み上げた畳の上ではしゃぐ篤姫もすごく可愛いラブ
ただお志賀がちょっと気の毒なんですけどしょんぼり
でも、家定にとって篤姫はありのままの自分を見せれる唯一の人なので仕方がないかなあ・・・と。自分の考えていることを相談できる人が篤姫だけで、しかも打てば響くような答えが返ってきたら当然、そっちに行っちゃうよな。お志賀は癒しにはなっても支えにはならないような気がするし。今の家定は癒されてる時間なんかないし。
『篤姫』は原作はもっとシリアスなんですけどドラマは篤姫のやんちゃ姫ぶりが可愛くて、楽しく観ることができます。ただ史実は当然曲げられない訳で漸く揺るぎない信頼に結ばれた家定と篤姫を死が引き離してしまいます。
ドラマの中の二人が仲良くなればなるほど、この先の二人を待ち受ける悲劇へのカウントダウンにちょっとブルーです。
しかも、次週予告では堺家定の篤姫への想いが頂点に達する様子。
これが二人の蜜月のクライマックスなんだろうなーと思うと・・・歴史って残酷だ・・・悲しい

  • 2008.06.16 Monday
  • 22:58

荒れた心にお手入れを

美しいお経
美しいお経
瀬戸内 寂聴

子供の頃、手塚治虫の『ブッダ』を読んでいてものすごく印象に残ったエピソードがある。私はどうも後味が悪くなるものが苦手なようで残酷なニュースやドラマのシーンではすぐにチャンネルを変えたり自分の部屋に逃げ込んだりしてしまうのだが、あの漫画は名作ではあるものの人間のエゴをあまりにもよく描いているものだから当然、後味の悪いコマのオンパレードである。修行僧たちもエゴ丸出しでブッダを陥れようとするものだから「こんなことして自分で自分が嫌にならないものだろうか」と子供心にブルーなき持ちになったものだ。そのせいかあの漫画の大筋は覚えていても内容は記憶から意識的にほぼ抹殺してしまっている。そんな中で私が唯一覚えているのがスダッタさんという長者のエピソードである。スダッタさんという人の名前は覚えていなかったのでウィキペディアで確認した。
大学の頃、仏教系に通っていたので仏教の先生に「ブッダの為にイヤな王様から土地を買おうとして全財産を金に替え土地に敷き詰めたけど足りなくて泣き出し、やっとの思いで売ってもらって大喜びする人」と説明したが分かってもらえなかった。偉大なブッダの偉業の中ではスダッタさんの善行など覚えては貰えなかったのかそれとも私の説明が下手だったのか・・・。おそらく説明下手のせいだろう。
スダッタさんは知らなくても、あの有名な『平家物語』のでだし、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり・・・

を知らない人はあまりいないだろう。
中学校の国語の時間に大概習いますから。
スダッタさんがイヤな王様(これは私の記憶違いで実際にはジェータ太子という王子様だそうです)から必死の思いで買った土地が祇園精舎です。
まあ、それはさておき、私の記憶の中でスダッタさんは『ブッダの中でも唯一といってほど心を安らかにさせてくれた清涼剤のような人』なのである。
手塚治虫によって描かれたスダッタさんは鼻につく善人というよりも見ているこっちがはらはらするほどのお人よしぶりである。ブッダを篤く信仰しているというよりも「大ファン」という感じ。普通、全財産はたいて金に替えてまであんなヤナ野郎から土地を買おうとするだろうか。私だったらいやである。別の土地でいいじゃんと思う。太子にとっちゃ土地なんかどうでもいいのだ。スダッタさんを困らせて喜んでいるだけなのである。それなのにスダッタさんは必死の思いで金を敷き詰めていくのでだんだん王子も読者と共に引いていくという有様だった。結局、根負けした王子は土地を譲り、自らも布施を施しているのだが、王子に布施を起こす気持ちを呼び起こしたのはブッダではなくスダッタさんの熱いファン心なのだ。
今回、この本を読んで感じたことは幼い頃に触れたスダッタさんの揺るがぬファン精神(信仰とか帰依と呼ぶべきなのでしょうが・・・)に感じたことと同じ、ほのぼのとした、それでいて清清しく洗われたような感覚です。
子供の私があまりに過酷なブッダの生き様に読んでいて疲れてきた時にふと触れたスダッタさんの姿を未だに記憶の中に留めているように。残酷な事件や心が殺伐するようなことの多い毎日の中でふと触れて心がふんわりと優しくなるような、そんな美しい仏教に纏わることばと瀬戸内寂聴さんの分かりやすい解説がついております。
残念ながら前述した『祇園精舎の・・・』は収録されていませんが、私は中勘助の『鳥の物語』の一文が大好きになりました。

おとどの殿に
機の音きこゆ
織るはマンダラ
極楽のすがた
きり はた ちょう
きのうは菩薩
きょうはみほとけ・・・

中将姫は生きた阿弥陀さまに逢いたい一心で来る日も来る日も心をこめて曼荼羅を織ります。お父さんに殺されそうになっても曼荼羅が織りあがるまでは殺さないでと頼んで、寝食も取らずに曼荼羅を織り上げます。中将姫の一途な姿が美しい詩から伝わってきます。
装丁も美しくサイズもカバンに入れておきやすい新書版なのも◎。
疲れた心、荒れた心を洗い流し、お手入れするのに最適な一冊です。

  • 2008.06.11 Wednesday
  • 12:29

ナルニア国物語を観に行ってきました

ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛 2-Disc・スペシャル・エディション
ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛 2-Disc・スペシャル・エディション
ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント

ナルニア国物語第二作目「カスピアン王子の角笛」を観に行ってきました。
カスピアン、原作に比べてすごい大人です。二枚目です。
まだ明けやらぬ中を馬で疾駆していく姿が格好いいです。
原作ではカワイイ巻き毛の男の子なのに・・・。
このキャステイングは興行的には仕方ないのでしょうか。
ちょっとだけスーザンとのラブも絡ませたりしております。
殆ど原作に沿った内容なのですが、原作を逸脱しているくらいのバトルシーンの連続です。こんなにバトルばっかでそれでも少ないナルニア国民が減ってしまうことにハラハラしていました。更には原作に登場しなかった敵役まで冷や汗
ディズニー配給なので残酷シーンは極力カットされているのですが、それでも門を体で支えるミノタウロスや城の中に閉じ込められてしまうナルニアの民のシーンでは可哀想で「アスランなにしてんの?」と思っていました。
ナルニア物語はアスランが最大のヒーローなのでアスランが登場するとすごい安心感があります。ただ、散々ナルニアの民がひどい目にあってからやっと登場してくれるので「原作ではもっと最初の段階で登場したよなあ?何でここまで引っ張るワケ?」とちょっと腹立たしかったです。しかもアスランが登場するとあっさり敵も負けてしまってナルニアの勝利って・・・。王様たちが命がけで戦った意味って一体・・・。
前作は最後にワンシーンあったので期待して最後まで待っていましたが今回はそれはなし。もう三作目はないのかなあ。いくらなんでもいきなり「最後のたたかい」を映画化されても困るし・・・。
とはいえ、ナルニアの民を映画で見ることができるのは感激でしたときめきリーピチープや松露とりがすごいキュートでつい映画館でリーピのぬいぐるみキーホルダーを買ってしまいました。帰ってみたらヒゲが折れてて悲しかったですが悲しい

  • 2008.06.01 Sunday
  • 21:43

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