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今だからこそ読んで欲しい少女漫画の名作

ヤヌスの鏡 3 (集英社文庫―コミック版)
ヤヌスの鏡 3 (集英社文庫―コミック版)
宮脇 明子


図書館で文庫版を見つけて、久しぶりに読んでみたらあまりの面白さに引き込まれ時間を忘れて読みふけっていた。
20年も昔に描かれたとは思えないほど絵も古びていないし、内容も寧ろ新しい。心理学や精神医学が発達した現代だからこそ面白く読めるのではないか。
特にこの最終巻は主人公・裕美(ヒロミ)の身の上に起こった忌まわしい事件の十年後を描く『秘伝』と裕美に理不尽なほど厳しくあたる祖母・タカとその異母妹・水鏡(ミカ)の確執『原説』とが収録されており、これを読むことで本編がより奥深く楽しめるようになっている。

子どもの頃に読んでいた時にはただの意地悪で横暴なババアという印象しか受けなかった祖母・タカがいい歳になってしょんぼり読んでみると寧ろ物語に深みを与える人間的で大変に面白いキャラクターとして捉えられたのが新しい発見だった。
何しろ、行動力が凄い。
放任家庭が当たり前となった現代ではありえないほどエネルギッシュなおばあちゃんで孫を探して臆することなく着物姿でディスコ(今は死語ですが・・・)に乗り込む場面などつい笑ってしまったくらいだ。明治生まれをなめんなよ、って感じ。
だが、事あるごとに主人公・裕美にを折檻し、辛くあたってきたおばあちゃんも寄る年波には勝てず、物語の終盤で心臓発作を起こし倒れてしまう。
ここまでの破天荒過ぎる物語の展開を思えばとっくに倒れててもおかしくはなかった訳でよくぞここまで持ったともいえる。流石は明治女である。
ここでやっと裕美は気づく。

――変ね…なんだかこんな年だからとか…こんなことばとオバアちゃんとはいままでむすびつかなかった…いたわってあげなきゃならないただのお年寄りだったなんて…オバアちゃんが……

オバアちゃんのオバアちゃん過ぎる外見(矍鑠とはしてるけど)を見りゃかなりの歳であることくらい一目瞭然な訳だが、ずっと精神的抑圧を受けてきた裕美にとっては驚きだったはずだ。何よりもあまりにもオバアちゃんが身近過ぎて(そして元気過ぎた為に)歳を取っていることに気づけなかったのだろう。
ここでやっと裕美の中に巣食っていた祖母への恐怖が溶けていく。
そして続く『秘伝』と『原説』を読むことで本編にちりばめられた謎が解けていくようになっている。この二話の主人公は祖母である。
年上の男性との不倫の果てに祖母の冷たい仕打ちに耐えかね自殺した裕美の母。当初は「孫を娘のような子にしてはいけない」と過剰に心配するあまりタカが裕美を厳しく監督し、その抑圧の結果、ユミというもうひとつの人格が産まれたように思っていた。ところが『秘伝』では裕美は祖母の躾が厳しくなる前から鏡に映る自分を『ユミ』と呼んで遊び相手にしていたことが判明する。
チャラ男を装いつつも十年前の『事件』の罪悪感を抱き続けているはとこの都志夫はユミに過去の罪を告白してしまう。

――オレは10年前、ロボットと引き換えにハトコを売ったんだ。「おじさんもあの女の子と遊びたいんだけどボクが女の子呼んでくれたら…あげるよ、これ」っていわれてね。あのとき、ロボットにつられなかったとしたらオレもこんなお調子者になってないかもしれない…あの子もあんなに厳しく育てられてないかもしれない…

6歳までの裕美は叔母であるみどりを実の母と信じていた。だが、変質者に襲われる事件により、取り乱した祖母は幼い裕美に真実を告げてしまう。そこから常軌を逸した祖母の躾が始まり、裕美の中のユミは自然と存在感を増していく。それは逃げ場のない裕美の唯一のはけ口だったのかもしれない。
それにしても祖母が鬼の形相で都志夫に切る啖呵は凄まじい。普通ならば即言われるがままに逃げ帰るだろうに、皮肉なことにこの祖母の『強さ』が都志夫に更なる疑惑を抱かせる素となってしまう。そして坂を転がり落ちるように物語は新たな悲劇へと転落していく。
物語の中で祖母とユミは都志夫に「大阪に帰れ」と警告している。ここでやっとユミの「強い性格」がある種祖母に生き写しであることに気づく。裕美の大人しい性格は祖母が憎んで止まない妾の子である水鏡に似ているのだ。更には成長するに従い容姿まで水鏡にそっくりになっていく。つまり裕美は異母姉妹であるタカと水鏡、育ちも容姿も正確もまるで対照的な二人の性格を持つ少女だったのだ。もしタカがその持ち前の誇り高さと気の強さで己を律することのない女だったとしたら…きっと奔放なユミそっくりだったことだろう。
だが、タカは己を律する女だった。許婚に抱く僅かな恋心さえ表に出すことのないタカ。だが、誰よりも誇り高く、譲ってはならぬ線は守り通すタカ。
人は自分の生きる道を自分の勝手のみで通すことはできない。
タカの育った時代は、そしてタカの育った境遇は特にそうだったに違いない。
タカは資産家の娘として育ちながらも分を守ることを知っていた。
自分の育った環境は家長である父のものであることを理解していた。
決して我侭なだけのお嬢さんではなかったのだ。
そんなタカにとって妾腹の水鏡は日陰の身の癖に自分の分を守れぬ甘ったれた卑しい娘にしか見えなかったことだろう。
水鏡自身、己の卑しさに気づいていながら、ついには分を越えてしまう。
タカは水鏡に言う。

――わたしは一度だって物事が自分の思い通りになったことなんてありません

そんなタカを水鏡は嗤う。

――そうよフフ…あなたは自分がなにを望んでいるか、わからない方ですものね…自分が望んでるものがわからない人に思いどおりもなにもないもの…


『原説』で語られた対照的な二人の姉妹。
守るものをたくさん持った責任ある立場のタカと日陰の身だけれど守るものなどなにもない自由な水鏡…。私は相愛だった男を諦めざるを得なかった水鏡に何故か同情を抱くことができず、ただひたずらタカに感情移入していた。
タカは裕美に死んだ娘ではなくしおらしい顔をして自分の許婚を奪い取った水鏡の面影を重ねていたのではないか。死ぬまで許しあうことのなかった姉妹の確執が罪のない孫への愛憎となったのではないかと思うと、本編がただのサイコホラーでなくとても悲しい家族の物語としても読めることに気づかされる。
そして漫画の中で最後まで描かれることのなかった祖母との孫娘の和解を願わずにはいられない。
今だからこそ読んでほしい秀逸な人間ドラマである。

  • 2012.11.14 Wednesday
  • 14:47

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